『声をかける』を読んで
いつまでも
変わらないものは
どこにもありはしない
それは 宇宙そのもの
でも 人の心でも同じだと
ある宇宙昆虫学者が
いっている
鉄郎もそのとおりだと
思う
次の停車駅は「声かけ」。停車時間は地球時間でほんの1,2秒。
どうも皆様おはこんばんにちは、なんだかんだ【薬剤師編】のじょいぼぉいです。
安定したセックスの供給と彼女がくれる時間に気を許しそうになる。
そんな日々を送っています。
それでもどこかで「またこの人を失うかもしれない」という気持ちがあって
「声をかけなくてはならない」
「ナンパしなくちゃならない」
そう誰かに言われている気もします。
でも地蔵してしまうことが多いので高石宏輔さんの『声をかける』を読んで「声かけ」について他人の体験をインストールしてみようと思いました。
以下書評になります。(書評なんて書いたことないので軽く読んでください!)
どうして「声をかける」のだろうか。そこには目的があるべきだ。見知らぬ人に声をかけるという行為からは何度やっても恐怖を拭い去ることはできない。筆者は「自分より強く見える人達」と同じ振る舞いをもすることで強くなろうとした。本書はその過程を(活動当時はブログを書かれていたようだが)肉筆のある文章で克明に語っている。
初めはクラブから。一人でエントランスに並ぶ。中に入っても声をかけられない。それでももう一度クラブに挑戦した時、彼の中で混沌と秩序が入り乱れる。バーやストリートを通して見知らぬ女性に声をかけていく。そんな簡単にうまくはいかない。声をかけてからの反応をシュミレートする。実行と反省を繰り返す。気がつくと自ら称する誘蛾灯(女性)に何度も向かっていくようになる。
そうして出会った女性との関係が生まれる。出会っては別れ、別れては出会う。作中には多くの魅力的な女性が登場する。OL、風俗嬢、大学院生…。彼女らの唇は彼女らの社会の入り口だ。その入り口に入り込めさえすれば出会い方こそいわゆるナンパであれど、なんともないカップルのような付き合いを始めることができる。
筆者のセリフ「ただ声をかけるだけだよ」というのが印象的だった。これは何度も声をかけ続けたからこそ言える言葉なのだろうか。本当にこの境地まで達することができるすればその先には何が待っているのだろう。強くなりたいと思った者は果たしてどうなれるのだろうか。それはなった者にしか語り得ない。
どこで身につけたのかは知らないが、筆者にしか持ち得ない観察眼から声をかける。なかなか真似できそうにない。それほどまでに対象に関心を持って声をかけるからこそ相手も話に応じてくれるのかもしれない。この観察眼が文章に色を与えている。惜しくも儚い夢のような色ではあるが。
うん、書評とまではいかないあらすじ紹介になってしまいました。
簡単にですが、読んで抱いた印象をまとめるとこんな感じになります。
それでは声かけとマインドの部分をさらっとおさらいしていきましょう。
声かけ(本文引用)
- すいません
- こんにちは
- こんばんは
- 目、合いましたね
- 一緒に飲んでいい?
- ダンサーですか?
作中ではこれらの声かけが使われていた。
誠実系の「すいません」は使いやすいだろうし、挨拶をするように「こんにちは」や「こんばんは」が使えると声をかける前の負担はさらに減るように思える。
実際僕は「すいません、タイプだと思ったんですけど」と声をかける。
話を聞いてくれる人もいるし、無視していく人もいる。
問題は、声かけをしたことがあって、成功もしているのになぜ未だに声をかけられない時があるのかということだ。
本を読みながら自分と向き合った。
これまで僕が声をかけることができたのは、多くは電車を降りた直後で「一緒に降りたら声をかける」とあらかじめ心の準備をすることができているのが大きいと思った。
わざわざ街に出て地蔵するくらいなら日常の中で地蔵していた方がいいと思っているのかもしれない。だからすれ違いざまに声をかけるのが僕のスタイルに合っているはずだが、どうも反応が遅れてしまっている。
「なんて声をかければ一番いいのだろう」
そんなことを考えているうちに彼女達はどんどん遠ざかっていく。
追いかけることもしない。いや、諦めているのだと思う。
マインド(本文引用)
- もう少し話しやすそうな人がいたら声をかけたらいい。そう自分に言い聞かせた。
- 自分にはそんなことは言えない。それを言う必然性がないからだ。
- これがチャンスなのだと一瞬昂った。すごい速さで自信のまったくない鬱状態と、確信に満ちた躁状態とが繰り返されていた。
- 消え入りそうになっている昂りを感じた瞬間、一歩を踏み出した。
- 声をかけられないことへの自己嫌悪が募っていく。
- 動けない、でもやるしかない。声をかけた。
- 声をかけることができなかったときの自分に戻ってしまいそうだ。後戻りしたくない。やるしかない。無理やり女性の前に体を持って行き、声をかけた。
ここから先は声かけ自体に慣れを感じるという描写が入るのでまた別のレベルだと思うので割愛する。
上に挙げたマインドは、今の僕の気持ちをそのまま代弁してくれているようだった。
声かけに慣れる?そんなことはまだ想像できない。
(あ、可愛い)→(どうやって声をかける???)
を毎日繰り返す。声をかけることができないことで自分を否定してしまっているような気もする。それに今は彼女がいて安定したセックスの供給がなされている。僕をそこまで動かす緊急性はすれ違う瞬間にはないのだ。【女医編】の時にも思ったが、ナンパ師の人はすごくストイックだと思う。どうしてセックスが確約されているのに痛みを伴うエネルギーを出してまで街へ出かけられるのだろう。確かに「付き合っている」を免罪符にして人と繋がり続けるには無理がある。それは前回学んだことだ。だから今回は繋がり続けられる工夫をしようとしている。また彼女を失うことがないように。
「ナンパには夢がある。」と多くの人は言う。その通りだ。と言うよりもナンパそのもの自体が僕が現実を歪めて作り上げた夢だと思う。夢を多く見たければ声をかけなさい。そう言われた気がした。それでは皆様のよき声かけライフを祈っております、じょいぼぉいでした。