ナンパ鉄道999

永遠の愛を求めてぼくは旅をする。

セプテンバーさん(前の彼女が忘れられない君へ)

【追記あります!】

次の停車駅は「セプテンバー」。

停車時間は地球時間で「30日」。

 

RADWIMPSの「セプテンバーさん」を聴きながら思った。

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一人のために描いた夢を

誰かに使いまわした

これって俺だわって。

 

高校二年生俺。

高校二年のクラス替えで初めて同じクラスになった女の子。

家の方面が一緒で電車の時間も一緒の時があって彼女と同じ車両に乗ろうと時間と車両を使い分けていたこともあった。(キモw)

修学旅行のホテルに着いてからの自由時間で偶然にも同じタイミングで土産屋で出くわし連絡先を交換してテンションを上げさせてもらった。(赤外線通信懐かしい)

でも全然そっけない返信しかくれなくて気がついたらサッカー部のイケメンと付き合ってた。

彼女の誕生日はいつだっけ。九月。

 

大学一年生俺。

大学に入って初めて好きになった女の子。

授業のグループワークで二人でいろんなことを調べた。

授業後にお互い時間があるときは「ちょっと図書館行こっか」「そこのベンチで話してこうよ」といろんなことを喋った。

お互い好きな作家が被って喋りやすかった。

なんの気まぐれか「私、joy君のこと好きだな」とLINEで言ってきて俺に右ストレート食らわしてきた。

挙句の果てに「もう連絡しないでください」とLINEで言ってきて俺はK.O.負けした。

長文LINE送って返事ないなと思ってたらブロックされてたよ。戦力外通告だよ。

(だから女の子にはブロックされるまで連絡してもいいと思っているよ)

彼女の誕生日はいつだっけ。九月。

 

大学三年生俺。

恋愛工学の門を叩き、ナンパという出会い方を覚え、初めてバンゲしてご飯に行った彼女。

僕の童貞をもらってくれた人。

こんなに人を好きになったことはないと僕に確信させ、好き好き非モテコミットでもちろんフラれた。

彼女の誕生日はいつだっけ。九月。

 

俺が好きになったあの子達の誕生日はいつも九月だった。

しかし、彼女達に直接おめでとうと目を見て言った試しがない。

(誕生日おめでとう!)と言える未来を心の中で想像しててても。

 

 

一人のために描いた夢を(九月の誕生日を祝うこと)

他の誰かに使いまわした。

 

OH セプテンバー

読者で「別に俺の好きになった子は九月生まれじゃないわ!」と突っ込みたい方もいるだろう。

 

違うんだ、この話の要点は

あれだけ好きになって結ばれなくて苦しんだ過去があっても現在で行動すればいつか「彼女」の誕生日を祝える日が来るよってことだ。

てか、祝いたい他の誰かをお前は見つけてるじゃん!

(「彼女」が他の誰かに変わるかもしれないけどね)

最近読んだ本でこんなことが書いてあった。

「あなたの人生の最大の問題は、あなたの人生の最大のギフトである」

ってね。

なるほど、彼女達が僕らから離れていく(結果)には必ず何か原因があるはずだ。

もしかするとこの子の誕生日を一生祝いたいと思える子に出会えた時にまた同じようなことをしたらどうなる???

また彼女達は離れていくよ。

だから彼女達が離れたいと思った原因はなんだったのか。

自分を見つめよう。

それが彼女達が僕らに悲しみとともにくれる最大の贈り物なんじゃないかな。

別にセプテンバーさんを祝いたいんじゃないだろ。

目の前で一緒にいてくれる彼女を祝いたいんだ。

彼女を喜ばせたいんだ。

それがオクトーバーさんでも、ノーベンバーさんでもいいじゃないか。

僕が笑える理由なら

今まさに目の前にいるよ

こんな僕らを繋ぐのは

そうさいつも

 それでは皆様のよき「セプテンバー」を祈っております、joy boyでした。

 

【追記】

あの時の判断は正しかったのだろうか。

別れを切り出してくる女の子に対して思うのは

(あの時のこの行動がよくなかったな)

という過去に対する後悔の気持ちだ。

後悔しないようにこのことからできるだけ教訓を得よう。

それを「贈り物」と称して前回書いたが、どうも教訓は得ることが難しいらしい。

ある本の中に書いてあった。

その本の中では結婚した女性が今の旦那を見て「この結婚は間違いだった」と思うことが例にあげられる。

「付き合っているときは私の話をよく聞いてくれた」

「体型も細身の筋肉質で理想の彼氏だった」

「今はお腹も出ていて髪も薄くなり、話しかけても上の空」

「やっぱり恋愛の延長で結婚したのが間違いだったのかな」

そんな風に愚痴をこぼし後悔している。

一方でまた別の男性を思い浮かべる。

「親の紹介でお見合いしたあの人」

「弁護士という肩書きは立派だったけど、ルックスがイマイチだった」

「今では一等地の高層ビル内にある弁護士事務所を経営してるらしい」

 

人生は選択の連続でできている。

その選択によって未来が左右されるし、現在が決まる。

過去の判断は正しかったのか?

いや、間違いだったと強く思っても

「そこに「成功・失敗」の評価は下せても

 過去の間違った判断から未来への教訓を導き出すのは必ずしも簡単なことではない」

と筆者は言う。

その理由は以下の4点に集約される。

  • ❶判断していた過去の時点と現在とで、判断者の価値観が変化する。つまり、好みが変わる。
  • ❷過去の判断から現時点までの状況を現在の価値観だけで評価することはできない。
  • ❸過去の判断以降に明らかになった数々のデータは、過去の判断時には、分かりようがなかったものである。
  • ❹過去に間違った判断をしていた場合にたどり着いたはずの架空の現在地が、今の現実の現在地よりマシという保証がない。

❶に関して言えば、

現在、過去に欲しいと思って買ってもらったおもちゃをもう見向きもしないように価値観は変化する。男女の恋愛は1 on 1が素晴らしいと思っていた時期が僕にもあったが、それでは現実は上手くいかないことに気がついた。これからわかるように価値観というものは時間の変化と同時に変化するものだ。そしてどのように変化するかは現在の自分からは想像することができない。

 

❷に関して言えば、

判断に対して点ではなく線の評価をすることが望ましい。現時点であなたが感じている感情は過去の時点では想像できなかったものだ。「付き合った男女ならsexするものだと思って週一でセク確のアポを入れ続ければいいものだ」と「恋愛」に対する仮定を持っていた。しかし、それでは関係を継続するに至らなかった。ここで❸が登場する。相手の反応によって初めて明らかになる情報によって価値観というものは変化した。しかし、僕が掲げた仮説は間違いだった。それははっきり言える。当時「童貞からの離脱」によって「毎週のセックス」を獲得するのがその時点での僕が目指すところであった。しかし、人生全体を見ればそれはせっせとオナニーする程度にしかならなかった。というのが、現時点でみた「点の評価」であり、「線の評価」にはならない。線であの「恋愛」を考えた時に「童貞卒業」という僕にとっては大きなイベントをもたらしてくれたことと「ナンパからの出会い」も生み出せることがこのライフで見た時に得た大きな評価である。

 

❹に関して言えば、

彼女と別れてからいろんなことがあったが、付き合い続けていたらどうだったかなんてのを考えるのは頭がファンタジーである。

 

ここまでつらつらと書いてきたのも他人の理論であり、これを読む人にとっても他人の理論であり、それをどう解釈するかは自由だ。

過去の失敗・成功もその時点では現在であったのだからこれからの未来でも結局は、現時点での判断が一番大事になる。その判断を間違えないように何をすればいいのかと読んだ本に思ったよりも面白いことが書いてあったから追記を行なった。

過去の出来事に良し悪しを与えるのは日替わり定食のようなものだから、人生が終わる時に決めきれば良いだろうと筆者は締めくくる。

 

今しかない。

街で女の子と出会った時もそう思って声をかけなかったことはない。

それはいろんな心理・感情があの一瞬で働くのだけれども、女の子に限らずそれは多くの出来事に関与していくだろう。

人生の良し悪しは、最後で決まるのだから判断によって得られたリターンの総量がプラスになるようにするしかない。もちろん勘定はマイナスでもいいのだろうけど。

 

Das Ende.